冬のあいだじゅう温泉自主規制していた母は、やっと行けるようになると
「もうどこでもいいわ!連れてってくれるなら!」と、ちょっと切羽詰まっている。

のんびり小町のクーポンが4万5000円分貯まったからこれを使うにしても、もう行きたい宿があまりないしな〜

などと思案していたら、春の東北に突然大雪が降った。
福島、新潟もすごい雪である。
 

 

そのとき私は思い出した。

入り損ねた露天と「ここは冬でないとだめね」という言葉を。

 

昔、叔母の仲良しグループの1人が
「ちょっと知っている中の沢温泉の宿が
別館を建てたから、行ってみましょ」との
ことで、私も連れてきてくれたのである。

 

真新しいその宿はかなりバタバタした
雰囲気で、夏のさなかの露天のお湯は
とても熱く、4人でしばらく水でうめたりしたが結局入ることができなかった。

朝食前もあわただしく、露天を横目に内湯だけで終わってしまったのである。


 

帰り際に叔母たちは「お湯が熱すぎたわね。ここは冬でないとだめね」と口々に言ったのであった。

入れなかった露天というのは何だかひっかかるものである。

…突然の雪。

HPを見ると貸切のお風呂も造ったようで、これなら母も喜ぶかも。
料金も比較的安いし、名残雪の、入りそこなった露天に行ってみるか〜
 


2007年3月23日(金)

会津 中の沢温泉 御宿 万葉亭
http://www.manyoutei.jp/

のんびり小町パック  @29000円

 

 

 

 

 

 

のんびり小町のサービスのジュースなぞいただいていると、
ワーーーンーーー … という音が部屋中に満ちた。
 
母が「これ何の音?」 

 

これはもう、これだよ!
 
冷蔵庫のコンセントを引き抜く。
 
冷たいビールが飲みたい人は困るだろうが、母も私も支障ないので。

 

 

そして静けさが戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

木造りのなかなかいい内湯は昔のままのようである。

 

日差しが溢れてたいへん気持ちがいい。

 


 

内湯のお湯は適温。
本日は4組の宿泊、私たち以外まだ到着しておらず貸切状態。

湯口の上に竹筒があり飲泉できる。
とても酸っぱいお湯である。
 

 

 

 

細かい水蒸気が湯小屋中に充満して、まるでミストサウナ。

 


 

露天はかなり変わったようであった。

私を連れてきてくださった3人のおばさまたちの2人はすでにこの世の人でなく、あのとき4人で露天の周りに所在なく立って蛇口から水を出しさめるのを待っていた姿を、ちょっと懐かしく思い出した。
 

 

お湯はやはりかなり熱く、しかし今回は
何とか頑張って入れた。

蛇口をひねれば水も出るけれど、うめながら入るのはせわしないので熱いまま
入る。

透明な、ツルツル感のあるとても綺麗な
お湯である。

 

あっという間に汗ダク。

長時間は入れなかったが、日がさんさんと降る気持ちよいお風呂であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

40分の貸切風呂は空いていれば何度でも予約できる。

母は夜入るというので、1人で行ってみる。

 

あら… ホースが…

モップ、雑巾、箒、ちりとりなどが目に留まり、せっかくのいい木造りの湯小屋の雰囲気が台無し。

1人でいっぱいの風呂桶。 お湯が熱いのでとても40分もいられない、すぐに上がる。


 

 

しばらく前にお嬢3が学生時代の友人と、お湯のいい温泉に行きたいというのでこの宿をとってあげたことがあった。
もう夏休みに入った7月の土曜に、料金が手ごろで空いている宿なんぞそう多くはなく、なんとかとれたのはラッキーであったが、帰る早々
「あのね、言ってもいい? お湯はすごく良かった!全員便秘が治ったよ。でも露天は熱くて入れなかった… それでね、お料理が全部ぬるかった、というか冷めていたの…」

固形燃料全盛の昨今、料理が全部ぬるいとはどういうこっちゃ、と思ったものであるが。

 

 

母はお料理をすべて並べて食べるのが好きなので、早出しでお願いした。

しかしいま改めて写真を見ても、ほとんど覚えていないのである。

 

あら、サラダに甘エビと帆立貝柱が
のってたんだ! とか…

 

これなんだったのかしら…

ホースラディッシュがあるからローストビーフ?だっけ…

 

うーん… 山の中だから、多分イワナ? とか…

 

あ〜! 

     海鮮鍋だったんだ!

                       などと…

 

これイワナじゃないし… なんだろ?

献立表を探し出して、
          はあ〜 ヤマメだそうです!

 

 

 

 

おなかがすいていて何でもおいしくいただいた。

量もたくさんある。

しかし口に入れた瞬間によぎるものが何もないので、すべておぼろに記憶の彼方に去ってしまう。

そんなお料理であった。

 

貸切のお風呂のドアを開けて母が
「ま! あんなとこにホースがとぐろ巻いてる。あら、お掃除道具がいっぱいね…」

年寄りの母に、寒さの中で浴衣をぬぎかなり熱いお湯に入るという暴挙をさせた私は、ちょっと反省した。

おはよ〜 にゃんにゃん。

 

 

なにかもぐもぐとお食事の最中。

さあ、私たちも朝ご飯に。

 

朝はお食事処。

 

お嬢3の「みんな冷めていたの…」というのが分かったような気がした。

湯豆腐はその場で火をつけてくれるし、
温かなお粥も出る。
しかし「器が熱いですから気をつけてください」という<こづゆ>は、器は熱かったが中身がぬるかった。

 

その後運んでくれたご飯と味噌汁がたいへんぬるくて、たぶんお嬢の中ではお食事の色すべてがこの印象に染まったのであろう。

 

記憶というのはどんなふうに蘇るので
あろうか。

たとえばこの宿の冷めた焼き魚を口に運ぶときのよどんだありきたりの動作。

 

ふと私は、かつて同じ動作をしてまったく別の感動をしたことを思い出す。


 

さる宿で朝食の焼きサバを口に入れたときの「熱い!」という驚き、
その香り。
湯気の立つご飯でサバを食べた記憶の鮮明さ、前夜の端正な卓の
上の料理が蘇る。
 

荷物を持って玄関に向かう私に「お発ちですか?」とお辞儀をして
見送ってくれた仲居さんの、今はあまり聞かなくなった懐かしい言葉を、
「ご縁がありましたらまたぜひお越しください」という奥ゆかしく温かな言葉を思い出す。

そして歩いてゆく長い木の廊下。
タクシーに乗り込んだ私に大きく手を振って見送ってくれた若女将の、その
着物の袖から垣間見えた若い華奢な二の腕の白さを思い出す。
 

記憶というのは人それぞれで、その在り様も思い出し方も様々であり、

私はこんなふうに思い出し、ああ… あの宿にまた行ってみたい、と思う。
 

この宿でお嬢の記憶に残ったのは「お湯は良かった〜でもお食事がさめていた〜」であり
母の記憶の中には「お風呂場にホースがとぐろ巻いてた」となり
私の記憶には「露天に入って満足。今度から貸切は注意しないと母が心臓麻痺…」ということが残るのかもしれない。

あの貸切風呂のドアを開けたときに、お掃除道具は見せないほうがいいなという感性があれば。
あるいは朝食のぬるい<こづゆ>の中の里芋が、機械でツルツルにむかれたものでなく板さんがしっかりと包丁を使い、熱々ほっこり味の染みたものであったならば、その小さな鉢は郷土の誇りとなってお膳の上で輝くであろうにと、残念な気もする。
 


 

 

 

がしかしこの宿は土曜は満室、若い仲居さんは忙しさのあまりトイレをがまんして膀胱炎になると言っていたくらい繁盛しているのであり、スタッフの応対も気持ちよく、そして忙しい宿の日常が昨日と同じように流れ過ぎていくのであれば、それはまたそれでいいのではなかろうかとも思う。